追悼 仲代達矢さん
2025年(平成7年)11月8日 午前0時25分、俳優の仲代達矢さんがお亡くなりになったそうです。92歳で、6月まで石川県の舞台で主演を務めていたとのことで、ご冥福をお祈りします。
このブロクでも、私が役者仲代達矢のファンであることを何度もお話したことがあると思いますが、改めて、昔の記憶を辿ってみたいと思います。私が最初に銀幕で仲代達矢を知ったのは、多分、高校生の時に体育教師に薦められ、全6部作の9時間半を一挙上映する特別興業を松竹劇場で観た、小林正樹監督の「人間の條件」だったと思います。とにかく、戦争や社会の不正や不合理に真正面から抵抗する正義感の強い主人公”梶”に圧倒されました。ただ、どちらかというと、この時は、仲代達矢という俳優よりは小林正樹演出の迫力が印象に強く残った記憶があります。
そのあと、岡本喜八監督の「斬る」での侍崩れの口八丁な旅人(やくざ者)を観ている筈なのですが、あまりのキャラクターの違いからか、「人間の条件」の主人公を演じた俳優とは思っていなかったような気がします(笑)。
そして、仲代達矢という役者を意識し始めたのは、五社英雄の「御用金」からでした。彼が第2の故郷という能登が舞台の時代劇です。雪の中の丹波哲郎との殺陣の斬新さには感動しました。さらに、同じく五社監督の「人斬り」で演じた冷酷非情の武市半平太の演技には驚きました。狂気を秘めた目つきとあの朗々としたセリフ回し、勝新太郎演じる岡田以蔵の壮絶な殺陣にも勝る凄味でしたねえ。
実は、この頃、私の住む地方では、邦画のリバイバルを上映する名画座、ましてやまだビデオなどもなく、黒澤明監督の「用心棒」や「椿三十郎」などはテレビ放送もなく、全く見るすべがありませんでした。こうした名作の情報は、映画関係の文献でしか得られませんでしたからねえ。いやあ、とにかく観たかったなあ。本当に飢えていました(笑)。
結局、黒澤明監督の時代劇を観ることができたのは、高校卒業後、上京してから、銀座の名画座(並木座)でしたねえ。劇場には昼からサラリーマンがたくさんいて、驚いたのも記憶にありますが、「用心棒」は、それまで文献で想像していたものを軽々超えていった映像に驚愕しました。さすが、世界のクロサワと感動しました。そして、主演の三船三十郎もカッコ良いのですが、仲代達矢演じる敵役の”卯之助”の悪の魅力に完全に参りました。
ここで、完全に仲代達矢さんのファンになった(当ブログ2025.5.21参照)の後は、次々と都内の名画座をまわり、仲代達矢さんが出演する様々な映画を観て回りました。もちろん「椿三十郎」、「切腹」、「上位討ち」などを観ましたねえ。それまでは文献でしか知らなかった名作だらけの映画三昧、今思えば、至福の時代でした。
そんな中、池袋の邦画の名画座(文芸地下)で仲代達矢特集というリバイバル上映が行われ、多分、オールナイトだったと思うのですが、大学の友達数人と劇場に足を運んだのです。上映作品は、その当時でもあまりリバイバルされていない、岡本喜八監督の「殺人狂時代」や「大菩薩峠」だったのではなかったかと思う(実は記憶に自信がない)のですが、すぐ後ろの席を見て、驚愕しました。なんと、仲代達矢さん本人が無名塾の俳優やスタッフを引き連れて座っているのではないですか。いや、本当に奇跡と思いましたが、こんなことが起こるのが東京なんでしょうねえ。
とにかく、若気の至りで、失礼ながら握手を求めたのですが、仲代さん、嫌な顔一つせず、快く応じてくださいました。実物はスクリーンで見るより、スリムで、握手した手もほっそりしていました。顔もマネキンのようなサイズなのです。均整が取れてスタイルが良いので、スクリーンでは大きく映るのでしょうねえ。本当に、このときのことは、いまでも忘れられません。一生の宝物です。仲代さん、ありがとうございました。ちなみに、仲代さん以外で、本物の芸能人に会ったのは、地元のタレントさん以外は、歩道ですれ違ったジャイアント馬場さんでした。馬場さんには、その背の高さに驚きました。雲をつくという表現の意味が分かったような、本当にデカかった(笑)。
話がそれましたが、そうした思いでもあって、私としては、長年の”推し”の役者さんでした。なお、最近では、邦画の黄金時代の話を出版(当ブログ2020.3.24参照)したり、時代劇の小品(DVDや配信)で老いても元気な姿をみせておられ、直前まで舞台の準備もされてたようですので、今回の急な訃報には驚きましたが、ともかく、これまでの長年の精力的な活動に敬意をささげ、改めてご冥福をお祈り申し上げます。ありがとうございました。
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