65
予告編で知った映画「65」のストーリーは、アダム・ドライバーが演じる主人公が6500万年前の地球、しかも、恐竜を滅ぼした隕石が降って来るDディーに紛れ込み、幼い子供を助けながらいかに脱出するか、というものでした。
恐竜時代にタイムスリップする設定なのかな?、でも、ティラノサウルスなど白亜紀の恐竜に人間が出会うのは恐竜ファンとしてはなんともロマンあふれるワクワクするような冒険譚になるだろうと勝手に思っていました。
でも、いきなりの冒頭で意外な展開です。ネタバレになるかもしれませんが、アダム・ドライバーは、別の惑星の地球人そっくりな異星人だったのです。その惑星では、英語を話し、ポリコレを遵守し、黒人系の妻と病気の娘を抱えて、医療費を稼ぐために長期の宇宙探査に出かけようとしていました。まあ、ネタバレというより、本来事前に知っておくべき情報なのでしょうが、あまりなとんでも設定に絶句しました。
とはいうものの、世間には”タイムトラベルを回避した秀逸な設定”という絶賛の声(Youtube)も一部みられますが、それなら主人公が英語でしゃべるのは止めてほしかった。あの名作「猿の惑星」での英語をしゃべる猿たちの意義を無に帰するものです。なんかこの幕開けの地球そっくりシーンでいきなり脱力しました。
そして、任務を終えて帰路の宇宙船は突然の隕石群に遭遇して大破し、タイトルの6500万年前の地球に不時着するのですが、このあたりの描写がなんとも違和感一杯です。宇宙を探査しようとする科学力の発達した異星人は、隕石群への対策が警報だけというのも合点がゆきません。パイロットであるアダムドライバーの居眠り運転のせい(Yuotuerの意見)というのはあまりに酷です。もう少し脚本をSF映画らしく工夫すべきです。さらにいうと、遭難先で主人公が使う危険探知機は、警報が鳴っても意味はないくらい近くに設置しており、その効果はもう笑うしかありません。もっとマシンの設定なども詰めてほしいものです。
また、冷凍睡眠カプセルの乗客は一人の少女を除いて死亡するのですが、”宇宙探査機のはずが、何故子ども連れの乗客が乗っているのだ”などとささいな違和感も湧きあがり、どうも映画の世界に没入できません。しかも、少女は黒人系の異人種です。行動も言葉も通じません。この辺はポリコレという以前に、無意識の黒人差別(いつもの白人の上から目線)なのではないか、というような気にさえなります。
それでも、こんな小骨はすっかり飲み込んで、なんといっても舞台は白亜紀の地球なのです。ティラノサウルスやトリケラトプスが棲んでいる筈です。恐竜ファンとしてはここに大いに期待したのですが、残念ながら有名どころの恐竜は一切登場しません。もちろん化石に残っているのはごく一部ですから、まだまだ未知の恐竜は無数にいるはずです。
しかし、映画に登場するのは、初期の巨大なトカゲ類のような、四つん這いで襲い掛かる人間ほどの肉食恐竜ややけに腕の長いティラノサウルスのような大型恐竜です。なんとも”微妙”です。
パンフレットによると、監督さんは”恐怖を重視したような造形”を意図したようですので、それはそれで気持ち悪さを醸し出しているのは理解しましたが、爬虫類と恐竜の違いまでも意識させるような造形は、なんとも恐竜ファンの心を逆なでします。
これが白亜紀の地球でなく、他の惑星なら良かったのですが、しっかり”地球”と明記し、エンドロールではご丁寧にも未来の現代ビル群まで映像化しているのですから、どうにも気に入りません。
まあ、いいでしょう、そういう未知の恐竜がいたとしても、あのラストは微妙です。異星人の使う近代兵器でも平気なラスボスがあんな最後とはやっぱり”微妙”です。
以上、90分ぐらいの長さですので、退屈はしなかったものの、SF仕立ての小道具や恐竜の造型に疑問符が付いた、全体的に”微妙な出来”の作品でした。個人的にいえば、演技派アダム・ドライバーは、宣教師な役は似合いそうですが、ヒーロー映画の主人公はやはり”微妙”でした。
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