アメリカ映画に見る黒人ステレオタイプ
今更ながらですが、アマゾン通販では、地方の大学関係者の出版物も入手できるので便利です。「アメリカ映画に見る黒人ステレオタイプ」も、富山大学出版会が発行した富山大学の人文学教授の著作でした。アメリカの黒人差別のルーツなどを映画の中から検証しているのですが、取り上げた作品が面白そうなので、ポチっと買ってしまいました。なにしろ、著者が現役の大学教授なので安心して読ませてもらいました。最近の大学ではこういった視点からの授業もあるようで、羨ましい限りです。
さて、この本によると、白人から見た黒人のタイプには、①トム、②マミー、③クーン等、④ムラトー、⑤バックの類型があるそうです。例えば、①のトムというのは、言うまでもなくアメリカ文学の名作「アンクルトムの小屋」の現状に満足している人の良いトムじいさんのことであり、「招かれざる客」の名優シドニー・ポワチエには黒人側からすれば現在の”トム”という見方があったのは有名なお話です。
②のマミーは、「風とともに去りぬ」に登場する太った乳母が有名で、自分の子供より主人の子を優先するという、いずれも白人に都合の良い存在だそうです。
③のクーン等とは、SFファンタジー映画「フィフスエレメント」に出てくる奇抜な衣装を着て口先だけの無責任なタレントのような、おバカキャラだそうです。つまり白人が優越感をもつことのできるタイプなのです。
そして、④のムラトーがより悲惨な立場なのですが、奴隷制度の中の混血児で、白人男性を性的に誘惑する悪い黒人女のことだそうです。陵辱した白人男は悪くなくて誘惑した黒人女が悪いという身勝手な理屈です。黒人で初めてアカデミー主演女優賞を獲ったハル・ベリーの演技に批判があるのは、まさにこの”ムラトー”そのものというわけなのです。
最後の⑤バックというのは、身体的にも性的にも白人男性を圧倒する黒人男性なのですが、映画ではラストに身を亡ぼすというパターンだそうです。もっとも一時期はブラック・ヒーロー映画のブームもありましたが、すぐに消えました・・・。
こうした黒人のステレオタイプは、南北戦争後、奴隷解放を行った直後から、黒人に復讐されるかもしれないという白人側の恐怖、妄想から、映画「国民の創生」で生まれ、白人が黒塗りで演じたおバカキャラが登場するテレビ番組を通じて、アメリカ社会に静かに深く浸透していったといいます。
その例として、挙げるのが「スター・ウォ-ズ」なのですから、少し笑いました。第1作(3部)では、猿人のチューバッカがトムであり、第4作(1部)のおバカキャラのジャージャーなんとかのカエル男がまさにクーンだというのです。多分ジョージ・ルーカスは無意識にそうしたキャラを使ったのだろう(もっともこのキャラは不人気で安心してください。)といい、無残に殺される宇宙人を演じるのは総じて黒人系俳優で、白人俳優役は実際の死ぬシーンを映すことは少ないというのも、ハリウッドSF映画の常識だそうです。ホントかどうか、興味にある方は是非お確かめください。
それにしても、この本を読むとアメリカ社会の黒人差別は本当に酷いものと改めて感じます。しかも、奴隷解放直後から、黒人差別を助長するプロパガンダが行われ、隔離政策は無くなっても、依然として現在も差別は続いているのです。昔の映画では遠い未来の筈だった黒人大統領が出現(起こることのない未来という裏設定)しても現実社会はまだまだです。突然黒人というだけで殺されるかもしれないアメリカ社会は怖いですねえ。
ところで、以前から私の疑問だった「ブラックパンサー」への高い評価は、どうやら原作漫画にあった伝統的なトムやマミー、クーンなどのイメージを覆したキャラクターの設定だったようです。そりゃ、差別の実態も知らないぬるま湯社会の日本人にはわかりませんわねえ。もっとも、青人種の「アバター」への高い評価はやっぱりよく分かりません。根底には有色人差別、白人の傲慢さがにじみ出ているのように感じるのですが、気のせいですか?
ちなみに、直近の「スターウォーズ」では、主役級の黒人を特殊メイクなしで登場させたりしましたが、全然面白くなかった・・・これはまた別の話ですねえ(笑)。まあ、ポリコレ的人種平等主義は勘弁してほしい。なによりその物語性からキャスティングをしてほしいものです。
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