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2018年3月25日 (日)

トゥームレイダー ファースト・ミッション

 かつて、アンジョリーナ・ジョリーの主演でゲームを映画化した2部作のリブート作品が今回の「トゥームレーダー ファースト・ミッション」です。
 アンジョリーナ編では、主人公は二丁拳銃と格闘技の名手で、007とインディ・ジョーンズを混ぜ合わせたような痛快アクション映画でした。
_new_0001  さて、今回は、前シリーズとやや趣を異にしています。「ファースト・ミッション」いうタイトルの通り、主人公ララは、父の失踪から自暴自棄になり家出し、自転車宅配で自活するも、格闘技の練習料も滞っているという状況です。しかもスパーリング相手に負けるのですから、話になりません。
 
 映画の前半部分は、ヒーロー映画を見に来た観客の期待をことごとく裏切るのです。ヒーローらしからぬ軽率で行き当たりばったりの行動には共感できず、「主人公が弱すぎ?」、「秘密の部屋のドアは開けたら閉めて!!}などと雑念を抱いてしまった観客の私の方が困ってしまいました。
 
61xjvmbzzcl  まあ、ララ役がアリシア・ヴィキャンデルという小柄なスェーデン人で、あの静かな傑作SF映画「エクス・マキナ」のロボット役の女優さんですから、女007というイメージとは全く違います。(ちなみに、私はこのロボット映画は好きでブルーレイ買いました。)
 
 しかも、監督までもノルウェー人だそうですので、北欧風で能天気なハリウッド映画とは少し風合いが違います。スーパーマンではない生身の人間のヒーローものを目指している気がします。ダイ・ハードの第一作のような、・・とにかくアクションが痛々しいのです。確信犯なのでしょうねえ(笑)。ただ、肉体改造ぐらいトレーニングをしたのは立派です。やっぱり向こうの女優さんは凄いですねえ。
 
 そして、映画は伝説のヒミコの島に到着してからが本番となります。
 今回は、なんと、日本の古代女王が"死の女王”として登場です。ヒミコ=悪の女王の設定には、日本の歴史ファンが怒るよ、と心配していましたが、最後にどんでん返しがあってほっとしました。
 それにしても、日本とまったく関係のない東南アジアの孤島が舞台ですし、その墳墓たるや日本の文化の片りんもないとんでもない仕掛けだらけの無国籍ピラミッドです。ちょっと複雑な気がします。
 
 さて、ララが島に到着(漂着が正しい)するや、悪の結社「トリニティ」にララはいきなり捕えられ、7年間単身赴任で墓を掘っている敵のリーダーに愚痴とともに、父の死を告げられたまま、抵抗するすべもなく墓堀人夫として使役されます。しかも、父が処分を命じた墓地の真の場所を示した手帖まで取り上げられるのです。まったく良いところはありません。
 
 観客としては、ここらあたりが我慢の限界だったのですが、その辺を察するように、ララは、中国人の相棒に促され脱走、崖から転落して濁流に飲まれたあげく、旧日本軍の飛行機の残骸でアクロバットな見せ場を経て脱出に成功するのですが、敵の追っ手一人を殺したことから、大きくララが変わります。やっと、女ヒーローの誕生です。そうです、この映画は、誕生編だったのです。
 
 ここから、アクション物語が始まります。まず、意外な人物(=多分、皆さんの予想通り)と出会い、ヒミコの墓の数々の関門をクリアして、ヒミコの”死の力”の正体が明らかにして、敵をなんとか退治して、やっと大団円になります。
 そして、無事に父の遺産を相続した時に、トリニティという敵の正体が暗示されるのですが、その対決は次回のお話になりました。
 しかも、エピローグでは、質屋で、ララの愛用アイテムの2丁拳銃を手に入れるのです。
 まあ、私としては、お金を踏み倒しているボクシングジムに金を返せよと言いたいのですが(笑)。
 
 以上、すこし変わったアクション映画でした。シリーズお約束の超常現象も全くありません。まあ、今回は誕生編ですから、続編が作られることをお祈りします。
 

2018年3月11日 (日)

ブラックパンサー

 全米で大ヒットしたとかいう、馴染みの宣伝文句に騙されて、「ブラックパンサー」を観て来ました。
 ブラックパンサーとは前回のアベンジャーズで突然現れた、マーベル社の黒人のヒーローです。もちろん、アメコミには全く疎いので、どういう素姓・由来のヒーローなのか、全然知りませんでした。
 
 さて、今回の映画で分かったブラックパンサーの正体は、アフリカのなんとかという王国の王子だったのです。
 その王国は、貧しい農業国と思われており、現在でも、他の国との貿易や外交関係もなく、一種の鎖国の様な状況ですが、その実態は、太古の時代に宇宙から飛来した、なんとかという鉱石のおかげで、科学力を飛躍的に発達させた桃源郷だったのです。
 
 その、なんとかという鉱石は、宇宙で最も固く、しかも医療や科学などのさまさまな面で活用できる万能の石であり、王子が身にまとう、クロヒョウのスーツの素材をはじめ、槍や斧などの武器、はてはステルス機能付き飛行艇、あるいは王国そのものを覆い隠すドームなどに使われているそうです。さらに、この鉱石の力は、植物まで影響を与え、王族に不思議な力まで与えるのです。
 
 まったく、一体、どんな石やねん、とツッコミたくなるほどの都合のいいものです(笑)。アメコミらしいといえば、それまでですが、もう少し設定に理屈をつけてほしいものです。
 
 物語は、この王子の王位継承をめぐる従兄との争いでした。スパイとしてアメリカに潜入していた亡き父の弟が掟を破って粛清されたのですが、実は隠し子がおり、父と自分の復讐のために王国に戦いを挑むという、いかにも古臭い、手垢のついた伝統的なストーリーでした。
 
 まあ、この地味なお話に取ってつけたような時事性として、他国の独裁政治、飢餓や貧困、難民の受け入れなどの世界情勢には全く目をつぶり、鎖国を維持し、ひとり王国の秘密を守り、何世紀も一人栄華をほしいままにしていることへの批判を塗し込んでいます。
 もちろん、現実世界が苦しんでいるこれらの問題に解決策があるわけではありませんので、映画では国王が国際支援を呼びかけるエピソードを添えるにとどまっています。まあ、こんなものでしょう。
 
 そのほか、超科学力とアフリカ伝統衣装の違和感、(海底軍艦のムー帝国を思い出しました)、めまぐるしいだけの安易なアクション、結構弱いヒーロー、魅力のないわき役たちと、ツッコミどころ満載で、どうして全米でヒットしてるか、全然わかりません。
 ということで、今回はパンフレットもチラシもありません。・・・以上でした。

2018年3月10日 (土)

2018年アカデミー賞作品賞監督賞

 2018年のアカデミー賞には驚きました。作品賞と監督賞を、あのギレルモ・デル・トロ監督の「シェイプ・オブ・ウォーター」が獲ったのです。 
 
 いわば、1954年製作の原案ともいえるモノクロ映画「大アマゾンの半魚人」の後日談といっても差しつかえない、いわゆる普通のA級映画から一段も二段も格下に見られていたモンスター映画、怪奇映画が、その年のハリウッド映画界の最高の賞を獲得したのです。
 画期的な出来事です。昨年の日本アカデミー賞の最優秀作品賞の「シン・ゴジラ」にも驚きましたが、これは本家ハリウッドの世界的に権威のある賞ですから、尚更です。
 奇しくもゴジラも1954年製作でした(笑)。
 さて、今回の授賞理由は、多分、いまアメリカで軽視されようとしている「多様性」を見事にファンタジー化して「描いた作品だったからでしょう。
 現在のアメリカ至上主義的な社会情勢、特に多様な世界への偏見や圧力などの政治的な攻撃に対する危機感が、この作品に栄光をもたらしたような気がします。
 デルトロ監督が「私も移民だ」といったコメントにすべて凝縮されていますねえ。
 ハリウッド映画人たちの良識がこの作品を選ばせたと言ってもいいのではないでしょうか。そういう意味でも、受賞した監督の興奮もよくわかります。
 ともかくも、おめでとうございます。
61tmmrbw7l_sx413_bo1204203200_  ちなみに、左の大型本は、映画の製作現場の裏話を特集したメイキング本です。とにかく、ご覧いただければ、半魚人の造形やセットのリアルさには、膨大な手間と技術、そしてスタッフの熱意がつぎ込まれてることがよくわかります。この作りこみが、絵空事に説得力を生み出し、観客に感動を与えるのです。これが映画作りですよねえ・・。
 なお、「シェイプ・オブ・ウォーター」というのは、直訳すれば、水の形というそうですが、一種詩的な表現です。その意図するところは、どういう意味なのでしょうねえ。どなたか、わかる方がいればお教えください。  
 
 

2018年3月 4日 (日)

シェイプ・オブ・ウォーター

 自他ともに認めるモンスター・オタクのギレルモ・デル・トロ監督の新作「シェイプ・オブ・ウォーター」は、アマゾンの水棲人間と女性の愛の物語でした。
 
_new  アマゾンの水棲人間というと、いうまでもなく、1950年代の代表的なモンスター映画「大アマゾンの半魚人」が有名です。
 水着姿で泳ぐジュリー・アダムスに恋した怪物(半魚人)は、異形ゆえに報われることなく、身を亡ぼすという、定番の「美女と野獣」系の怪奇映画でした。
 この50年代の映画に初めて登場した半魚人のデザインと造形が秀逸で、ギルマン(鰓人間)と呼ばれ時代を超えた人気を誇っています。アチラでは、このフィギュアやスタチューが今でも生産され続けています。
 あの黒い淵を自在に泳ぎ回ったリアルな水棲クリーチャーに匹敵する着ぐるみは、これだけ素材やCG技術が進歩した今日まで、いや、この作品まで登場しませんでした。
 
 そう、今回の映画は、6歳の時に見た「大アマゾンの半魚人」の恋をかなえたかった(パンフレットの記述)というギレルモ監督の”夢”の実現なのです。
 それだけに、半魚人のデザインは、凝りに凝っており、オリジナルのスリムなスタイルを生かした、納得のゆくデザインです。
 そのうえ、顔の隈取、目、鰓、体表の処理など生物感溢れる造形は、芸術的でお見事としか言いようがありません。しかも、発光機能まで追加しており、やっと、21世紀の半魚人といえる水棲クリーチャーが登場しました。はやくフィギュアが発売されないかなあ(笑)。
 
 さて、お話は、米ソ冷戦の60年代、アメリカの海辺の田舎町にある政府の秘密研究所に、南米で捕獲された水生生物が軍事研究ために運び込まれます。
 今回の主人公は、美女でもお姫様でもなく、その研究所で働く口の聞けない中年女性の清掃員なのです。しかも、映画館の2階のアパートにひっそりと住んでいます。付き合いは、隣の売れない老年の画家(ゲイらしい)と、同じ清掃員仲間の黒人女だけです。
 クリーチャーの創造と併せ、特筆すべきは、研究施設や主人公のアパートの装飾などのセットのリアルさです。レトロで冷戦時代という暗い時代の雰囲気を良く描いています。

 また、研究対象である水棲人間を電撃棒でいじめ抜くのが警備担当のサディストのような軍人です。屈強な体型をして力こそ全てと信じている白人の大男です。新「スーパーマン」のゾッド将軍を演じた俳優なので顔も言動も怖い怖い。
 もっとも、そんな男も、家庭では、郊外の一軒家で、テレビや冷蔵庫、キャデラックを持って、二人の子供の良き父親として、バービー人形の様な金髪の奥さんと幸せそうに暮らしています。昔テレビで見た60年代のアメリカの豊かで幸せそうな家庭の風景です。半世紀も前のあの大型のキャデラックは、まさしくアメリカの富の象徴ですねえ。改めて思います。

 ただ、今回、驚愕したのは、この映画のストーリーが単なるファンタジー映画では終わらなかったことです。従来の「美女と野獣」というお伽噺の範疇を一気に超え、人間と非人間とのセックスまでしっかり描いた作品なのです。
 
 冒頭、独身の中年女の秘めたる行為をしっかり見せたり、典型的な家庭内のハードなベッドシーンなど、人間の生活の裏側まで生々しく描きます。
 一方、怪物とのセックスは、逆にさらりですが、性器の形状へのセリフ説明まであります。子供向けではなく大人向けの寓話を目指した、にしても、異形とのセックスは、人の形を模した神を崇める主流派のタブーだけでなく、やっぱり驚天の展開です。本当にモンスターファンの私にしても驚きました。生物学的におかしいとかは別ですよ(笑)。
 
 ただ、考えてみれば、この映画は少数=異形の者への愛情を描いたものであり、現在のアメリカ社会への痛烈な批判なのでしょう。障害者、女性、黒人、ゲイ、・・・怪物、こうした差別を受け続ける少数派の弱い立場の人々の声を代弁しているのです。
 
 モンスター映画と馬鹿にすることなかれ、一度、是非ご覧ください。人間とはどういう生き方をすべきか、考えさせられます。
 実は、このオタク監督の一連のモンスター作品については、「パンズ・ラビリンス」をはじめ、「パシフィック・リム」も含め、「ミミック」以外はあまり好みではなかったのですが、この作品は高く評価したいと思います。
 

2018年3月 3日 (土)

ドリーム

  映画「ドリーム」は申し分ない快作です。話題作だったので、レンタルで観たのですが、あまりの出来の良さに、コレクション用のブルーレイ&DVDを注文してしまいました(笑)。
 
916a1f0rpel_sl1500_  お話は、アメリカの冷戦時代、ソ連と宇宙開発競争をしているNASAの、3人の黒人女性の奮闘記です。実話に基づいているという設定です。
 天才数学者(中心)、後にNASAで最初の黒人管理職(右)、初の黒人女性技術者になる黒人女性(左)たちです。
 この3人の天才ぶりが際立っています。もともとNASAというのは全米中から天才・秀才が集まっているのですから、一層凄いのです。
 
 数学者のエピソードを挙げると、例えば、中核の部署に抜擢されたとき、黒塗りの資料の行間を読んで、発射の成否を数式に表した時、初めて参加した会議で、宇宙船の着水地点を数式で計算した時、同僚たちの唖然とする姿に溜飲が下がります。シンボル的に演出されるチョークがニクイ。
 
 というのも、その当時のアメリカは、黒人隔離政策?がしっかり残って(今でも・・かな?)おり、トイレも、食事も、居住区も、「非白人用」に差別されていました。いや、情けないですねえ。
 
 映画はプロローグの後、主演3人が美しいハィウエイでエンストの車の横に立っています。そこに、パトカーが近づいてくると、3人に緊張が走ります。「余分なこと言わないでヨ」と口の過ぎる技術者に注意します。黒人たちのアメリカの警官というものイメージがよくわかります。今でも、よく白人警官が黒人を射殺していますものねえ。・・・アメリカの人種差別の現状を一瞬で切り取ります。いや、恐ろしいですねえ。
 
 そして、やっぱり、アメリカでのトップクラスの天才が集まるNASAの職場でも、黒人差別が露骨にあります。白人ばかりの中枢に配置されるや、誰も触らない「非白人用」のコーヒーポットが用意されるし、主人公は非白人用トイレを目指して、毎日、エリアの端から端までトットコと走って往復する有様です。トットコと往復する姿は、軽快な演出と相まって、滑稽ですらありますが、アメリカの恥ずべき人種差別の暗部をしっかり告発します。
 
 このトイレのための一時離席を巡って、彼女の上司であり、NASAの事実上のトップである本部長を演じたケビン・コスナーがNASA内の人種差別の実態に気が付くのです。彼女の理由を聞いたコスナーが、職場のポットの「非白人用」のラレベルをはぎ取った際に見せた同僚たちの困惑の表情、そして、大ハンマーを使ったコスナーの英断は、誠にカッコいい。大向うから声がかかりそうです。久々に、グッジョブ、儲け役です(笑)。
 
 もっとも、アメリカの英雄である宇宙飛行士の描き方には気を使っているような気がします。本部長と彼らだけが黒人を差別しないのです。歓迎の際、離れたところに並ばされてる黒人女性たちに、「あそこにも人が居る」といって、女秘書が止めるのかまわず、寄ってきて握手しますし、女数学者にはなにかと好意的な発言をしています。英雄への礼儀の演出かどうかはともかく、やっぱり宇宙飛行士はかっこよくなければなりません(笑)。
 
 一方、女の白人上司は、とにかく徹底していやらしく無視と底意地の悪さです。「話ができます。」と紹介する、あからさまな蔑視、黒人を人間とは思っていないような態度です。常に黒人達の足を引っ張る白人上司は初代スパイダーマンのヒロインが演じているのですが、すっかり嫌いになりました。黒人の女管理職候補に、「偏見はない」と公言して、「そう信じているのは知っています。」としっぺ返しを受けていました。ざまあ・・・失礼。
 
 余談ですが、この女管理職がIBMのコンピュータ室のトップになるエピソードや女技術者が資格要件のため白人高校に編入するための裁判所のスピーチが傑作です。やはり天才は違います。
 
 以上、今も厳然と続く、人種差別の国の中で、その能力と行動力でまさしくアメリカンドリームを成し遂げた3人の活躍に感動します。しかも、トットコと(この表眼がこの映画には似合います。)克服できたのは、彼女たちがまさしく天才だったからでしょう。
 
 考えれば、彼の国は、人種差別、銃所有、金(学歴)礼賛、弱肉強食が当たり前という厳しいお国柄です。お金もない、能力もない、普通の有色人種の人達はどうやって生きていけばよいのでしょうねえ。・・・比較すれば、日本に生まれてよかった・・と思いますねえ(笑)。
 

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