映画評論とは何か、そもそもわけのわからない映画評論家という定義や役割について鋭く切り込んだ「映画評論・入門」という書籍が洋泉社から出版されました。著者は、ペンネームがいかにも映画秘宝人脈とも思えるモルモット吉田氏です。
内容は、感想、評論、批評、レビューの違い、映画評論家と映画ライター、そして懐かしのテレビ映画解説者の実態などを詳しく、実名を挙げながら解説しています。今は亡き淀川長治氏(別格らしい)などはなんとも懐かしい限りです。
それに、SF映画を差別しなかった双葉十三郎氏を取り上げてくれたのはうれしい限りです。
しかし、この本の面白さは、そうした論議ではなく、過去に実際に起こった映画監督と映画評論家の争いや、映画封切り当時の映画批評を、実名を挙げて赤裸々にかつ克明に記しているところです。
有名な映画評論家たちがいかにその当時に的外れな批評をしていたか、いかに大新聞の記事が大衆のミスリードをおこなったか、そして、映画評論家と称する人たちがいかに政治や権力に弱いか、いやはやあきれるばかりのエピソードが載せられています。
例えば、有名な市川崑の「東京オリンピック」の話です。当時のオリンピック担当大臣の鶴の一声で大変なバッシングに会うのですが、それを救うきっかけとなったのが、並居る映画評論家たちではなく、女優高峰秀子の新聞への寄稿だったそうです。いやあ、立派です。
そして 北野武VS映画評論家、ロマンポルノと長老映画評論家などは、いかに映画作家たちが映画批評に不信を持っていたかがわかるような気がします。
なにしろ、あの黒澤明の足を引っ張り続けたのが、我が国の映画評論家やマスコミたち、というのはよく聞いたお話です。結局、海外の評価が逆輸入されるまではバッシングですか(笑)?
どうやら、我が国の場合、評論という基本ができていない。誰でも肩書を名乗れる、書ける気がする、あるいは書いてきた結果なのでしょうねえ。
といっても、いまやネット社会で誰でも発信できる時代です。かく言う私も、映画を見るたびに、好きか嫌いか、感想を述べています。・・・いや、これは申し訳ない(笑)。
さらに、この本では、「七人の侍」、「ゴジラ」、「2001年宇宙の旅」、「犬神家の一族」などのリアルタイム映画批評として、公開当時の実名入り批評を列挙しています。
これが圧巻です。まあ、いったい、有名な評論家たちがどんな目をしていたのか驚きます。加えて、キネマ旬報などのベストテンの弊害(これは今でも同じですねえ。一般人が知らない作品ばかり・・。)にも触れています。
有名なエピソードが、当時第3位の「七人の侍」でしょう。ハリウッドの西部劇と比較してまあまあの迫力(世界第一級の活劇ですゾ)だとか、人間が描かれていないだとか、もう絶句です。あげくは、自衛隊の発足にかけて左派よりの思想的攻撃です。あきれてものが言えません。こうした政治的批判は、最初の黒澤明本格評論書でも続きます。なにか、巨匠に難癖をつけなければ批評でないというような気までします。
もっとも、わが国初の怪獣映画「ゴジラ」については、お歴々の気持ちもわかる気もしますが、円谷英二の特撮は褒める一方、本多猪四郎監督のドラマ部分はクソみそです。
しかし、いまや、海外の映画作家たちからは、エンドマークに「本多猪四郎監督に捧ぐ」という賛辞まで受けているように、また、わが国でもその評価は一変しています。本多監督、長い間お疲れさまでした。
一方で、この著書は、いまの「シン・ゴジラ」の総褒め殺しにも懸念を示しています。慧眼でしょう。
いろいろな見方はあっても、それが自由に発言できて、尊重される風土や文化が大事と思いますねえ。どうも、我が国の多様性の無さというか、同一化したがる傾向はイケませんね。世の中、再び、物が言えなくなる時代が来ているのでしょうかねえ。
さて、次は、ブロガー出身の方の映画評論を読んで観ましょう。「何故、アメコミはヒットするのか」など宣伝文句を読む限り面白そうです(笑)。
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