バットマンVSスーパーマン
映画「バットマンVSスーパーマン」とは、そもそも神ともいえる超人と生身の人間が対等に戦えるのかが甚だ疑問であり、果たしてどんな内容になるのか、そのストーリーも皆目見当もつかなかったのですが、ゴシック調のバットマンをリアル系に再創造したクリストファー・ノーランが製作ということで、それほど漫画的なものにもなるまいと呆れ半分、期待半分で何故か初日のナイトショーを観て来ました(笑)。一言でいえば少し上映時間が長かったのですが十分楽しめました。
実は、この映画はリアル系スーパーマン映画である「マン・オブ・スティ-ル」の完全な続編でした。ドラゴンボールの悟空とフリーザーの戦いの実写化と思うぐらいに都市を破壊しつくしたスーパーマンとゾッド将軍との最後の戦いのシーンが発端となるのです。
二人の壮絶な殴り合いの結果、無数の高層ビルの倒壊などによって多数の死者が出た場所に、バットマンであるブルース・ウェインが居合わせます。この時、犠牲者の惨状を目のあたりにしたことが、バットマンにスーパーマンを人類の敵として排除することを決意させるのです。
そうです、まるで「平成ガメラ3」のように、ヒーロー(怪獣)の活躍の裏で犠牲になった者の視点から映画は始まります。
しかし、残念なことにベン・アフレック扮するバットマンは、少しメタボ体型で鈍重(アーマーもかっこ悪すぎ・・・)の上、自分勝手な思い込みが過ぎています。
あの厄災は人災ではないのです。彼は人間でなく異星人なのですから(笑)。ここはやっぱりノーラン監督お馴染みのバットマン3部作のクリスチャン・ベールにバットマンを演じてほしかったと思うのは私だけでしょうか。
一方、ヘンリー・カビル演じるスーパーマンは、前作以上にますます深刻な表情の悪人顔になります。
そして、人間の不安や猜疑心をうまく利用したレックス・ルーサーの悪だくみもあって人類の敵とみなされます。身に着けているスーツの色合いと同じくダークな印象です。私などの年配者から言えば、やっぱりスーパーマンは鮮やかな赤と青のクリスファー・リーブの颯爽とした姿が懐かしくなります。この辺の違和感、あるべきスーパーマン像との違いについては、以前このブログでも感想を述べています。
そして、予想通りスーパーマンの弱点であるクリプトンの緑色の結晶が武器として使われますし、それ以上にスーパーマンが愛する母と恋人が人質となります。このへんの悪らつさは誠に監督ノーランの製作らしい面が出ています。超人といえども地球人の悪だくみには敵いません。
加えて、前作のゾッド将軍の死体や宇宙船も存外に活躍します。こうした意外性を醸し出すストーリー展開も苦心の跡が感じられますが、最後の不細工な奴の登場はいただけません。デザインを工夫すべきでした。未見の方は映画をご覧ください。
さらに、今回は唐突にメタヒューマン類であるワンダー・ウーマンが登場します。そのアマゾネスのようなエキゾチックな衣装はなかなか味がありますが、彼女の地力はスーパーマンに匹敵するレベルです。人類に紛れ込んでいる設定なのでしょうが、ギリシャ神話の海神までもワンカットでちらっと顔を見せます。多分、ライバル会社の「アベンジャーズ」に対抗する「ジャスティス」のメンバーであり、次作以降に向けたアメコミの老舗の戦略なのでしょうが、正直よくわかりません。
それにしても、スーパーマンと恋人の関係にも驚きました。セックスを暗示するシーンもしっかりあります。かつてのリチャード・レスター版では、恋人と一夜を共にするために人間になって力を封じ込めた経緯もあるのに、この映画では堂々のあからさまな関係です。同じ超人モノの映画「ハンコック」のベッドシーンを思い出して心配になりました(笑)。
ところで、恋人のロイス・レイン役のエイミー・アダムスは老けましたか?。二の腕も少し太めになっています。ハリウッドの都市伝説「スーパーマンの呪い」ではないかと心配です(笑)。
最後に、劇中に「正義や信頼は既に失われている。」というセリフがありますが、これにはアメリカ社会の過酷な現状を憂う製作者の思いが込められているような気がします。そして、この映画も神の死とともに幕が閉じます。
もちろん、シリーズ化を予定して「ジャスティスの誕生」という副題がありますので、当然観客一同は席を立つことなく、予告映像を期待して長い長いエンドロールを見続けたわけですが、・・・見事に裏切られました。バカヤロー(笑)。
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