チャッピー
「第9地区」、「エリジウム」に続く、南アフリカのニール・ブロムカンプ監督のSF映画「チャッピー」は、予告編で予想したとおりの作品でした。逆に、AIをもつロボットや設定等には、既視感が強く、監督への期待からいえば、やや不満が残る出来といわざるを得ません。期待が大きかった分、厳しい見方になったのかもしれません。
もちろん、途中が退屈だったわけでもありませんし、面白くなかったわけでもありません。ただ、いろいろ些細な点で、突っ込みたくなったのは事実です。
なにしろ、どうして、ヒュー・ジャックマンがあんな筋肉頭役で出演するのでしょう。どう見ても、技術者に見えませんし、ミスキャストです。この俳優さん、最近、何にでも出てますから、不思議でない?(笑)
そして、監督と盟友のシャール・コプリーは、今回は、素顔を出さず、主演のロボット、チャッピーを演じています。パンフレットでは、南アの方言で、幼児からロボットを演じきった素晴らしい演技だったと賞賛されていますが、私としては、どうも、あまりに、手足の動きが人間臭く、逆にいえば、機械らしくなく、個人的には微妙に違和感がありました。
一方、開発者役のインド系俳優デーヴ・バテルは、「マリーゴールドホテルで会いましょう」と同じく、達者な演技を見せますし、何より、チャッピーの育ての親となるチンピラ・ギャング夫婦が絶品です。この二人、実は、南アフリカの世界的に有名なミュージシャンということです。しかも、その風体や服装、役名も、実際のミュージック活動そのままの姿だということです。これには、楽屋落ち的に驚きました。
最後に、ネタバレしますので、以下は、未見の方は、お読みいただかないようにお願います。
人間の記憶をロボットに移植することに、悲しみや恐ろしさをまったく感じさせないラストは、なんとも大きな違和感が残りました。ロボットになって喜びながらぴょんぴょん跳ねて去るラストの姿は、絶対なんか違います。(年齢のせいで頭が固くなったか?)
元ネタは、日本の漫画「攻殻機動隊」などのようですが、古くは、「8マン」から「ロボコップ」までロボット化された人間の悲しみを描いたSFの伝統があります。最近でも、私のご贔屓の茅田砂胡の電子書籍の短編では、機械になった人間が「顔を洗いたい、コーヒーを飲みたい。」と嘆き、自殺するお話があります。こちらの方が、随分、共感できます。
このラストの突拍子のなさが、私の厳しい採点につながっているのかもしれません。
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