模型作り事始め
私はいつごろ、模型作りを始めたのであろうかと、最近、身の周りに雑多に積まれた様々な模型を眺めてつくづく思います。
パソコンのフォトアルバムを見ると、2005年の3月に最初の塗装した模型の写真が残っていました。思えば、その頃までは、映画関係の完成品模型を買ったことはあるものの、自分で模型キットを組み立て、塗装して完成させることなど露ほども思ってもいませんでした。
なにしろ、子供の頃、プラモモデルを一度も真面に完成させたことがなかったのです。当時は、まだ瞬間接着剤がなく、セメダインではなかなか部品が接合できませんでした(笑)。根気のない私は辛抱堪らず、海底二万哩のノーチラス号(確かゴム動力)も、モーター仕込みの歩くゴジラ(今やお宝)も、外国製の魚の解剖模型(背骨を折った)も、全部失敗。苦い思い出です。
そんな私が、塗装にチャレンジしようと思ったのは、大先輩からいただいた一台の戦車模型、タイガー初期型です。いわゆる情景模型の要素も強く、例えば、第二次世界大戦のヨーロッパのある朝の情景とか、具体的な日時と場所を特定した設定だそうです。戦車模型の醍醐味は、実はこういう歴史的な考証だそうです。
それにしても、いただいた完成模型は、銃弾の跡などもリアルなのですが、なにより驚いたのはキャタピラです。昔のプラモデルは、一枚のゴム製キャタピラでしたが、いまや、キャタピラの板(?)を一枚一枚ピン止めしており、いかにも駆動原理と自重とをリアルに再現するのが腕なのだそうです。
いやあ素晴らしい。こういう模型を自分も作ってみたいと思ったことをいまでもはっきり記憶しています。
一方で、市販ではキットしかなくて、完成品は自ら作るしかない商品もありました。もちろん、お馴染みの半魚人(笑)です。その当時既に発売から相当年月が経過しているものの、ビリケン、ツクダのソフビキットの完成度は、今見ても最高水準でした。
そして、とうとう自ら模型作りを始めたのですが、どうも、塗装がなかなか上手くいきません。最初に塗装した半魚人やサイクロップスの出来は惨憺たるものです。恥ずかしさのあまり門外不出となった写真を見ても、もうそれはひどい出来です。緑のペンキを塗りたくった状態です。
なにしろ、塗装技術の基本を全く知らなかったのです。上に塗ると下の塗装が溶けるというラッカー、エナメルの塗装の区別も理解していませんでした。第一、下塗りの塗料が必要ということすら知りませんでしたなあ。
いやあ、女房と娘に笑われましたねえ(笑)。
その当時は、まだ、模型雑誌の種類もそれほど出版されていませんでした。インターネットで独学しましたが、それが、いまや、女性のイラスト付きの模型雑誌が増えていますから驚きです。「女もすなる・・・」なんとかです。
そして、10年経ってみれば、下手の横好きのなんとやらで、冒頭にお話したような状態に立ち至っています。しかも、押し入れなどには、まだ手つかずのキットもいくつか残っているのです。・・・いやあ、さすがにもうスペースがなくなりました。
思えば、始めた頃は、寛容だった女房も、いまや、所狭しと置かれ、毎日の掃除や行き来の邪魔になる模型群に厳しい目を向けています。
ということで、いまは、「これから、どうなるのだろう。」と、岡本喜八の映画「戦国野郎」の中谷一郎扮する忍者銅子播麿の迷セリフを思い浮かべています(笑)。
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