新ロボコップ
何故、あの名作「ロボコップ」をリメイクする必要があるのでしょう。新作を観た後も、その疑問は解けません。通常のSF活劇として眺めれば、普通に楽しめるかもしれませんが、オリジナル作品の信奉者としては、やはり納得できません。
結局、監督がCGでロボコップを作りたかっただけじゃないのか。あの黒澤明監督の「椿三十郎」をカラー化しただけの駄作と同じ結果でした。
もちろん、元が秀逸ですから、一定、鑑賞に堪えますが、せめて、ピーター・ジャクソン監督の「キングコング」のリメイクのように、オリジナルでカットされた場面を復元するとかの心意気を示してほしいものです。
しかし、ロボットの兵士や警官を導入しないという禁止法がある近未来のアメリカで、法の網の目をくぐり、人間との機械の合体マシンによる導入実績をつくろうとする設定や発想などは、結構おもしろい。
というのも、鉄腕アトム、というより森羅万象の物に魂を感じる精神的な土壌の上で、ロボットに愛着を抱く日本人とは異なり、人間以外に精神があるとは決して認めないキリスト教世界では、やはりフランケンシュタインの怪物の悪夢でしかないだろうという前提があるようにさえ思えるのです。
また、映画の実質上の主役であるかのように、徹頭徹尾、タカ派的な発言を繰り返すテレビ局のコメンテーターを演じたサミュエル・L・ジャクソンの迫力が見物です。その過激なアジテーションの演出が、かえって、今の現実の世界情勢の危うさを浮き彫りにしているように見えるのは一定評価します。
それにしても、人と機械の境界はどこか、新ターミネーターでのテーマでもありましたが、頭部と胸部しか残っていない姿を大画面で真正面から大写しにされると、CGとはわかっていても、気分が悪いですねえ。前シリーズ第2作の感心しないグロテスク面までコピーすることはないと思いますが、いかがでしょう。
ただ、全体を通してみれば、活劇もあっさりしているし、機械にされた主人公の感情が淡白すぎます。オリジナルの怨念のような雰囲気がきれいさっぱり浄化されており、無菌室の印象が全編に感じられます。これは、CG技術の薄っぺらさのせいかもしれません。あのオリジナルの良い意味の毒々しさがさっぱりと抜け落ちているのも残念な点です。
しかも、オリジナルの「お前はクビだ」というオチが、今回は、本人の根性?というような不可思議な力により成し遂げるのは、いくらなんでも、ご都合主義ではないでしょうか。少しあきれました。
なお、新作のロボコップや大型ロボットED-209などのデザインは、オリジナルのデザインがいかに素晴らしいものであるかを改めて再認識させてくれました。
最後に、安易なリメイクは行わないでほしいものです。有名俳優を何人も投入しようとも、せめて、オリジナルの公開から10年はそっとしておいてほしいと思ったら、公開年次は1987年というのですから、もう既に四半世紀を過ぎているのです。時の流れは速いことに改めて驚きます。こうなれば、名作映画リメイク禁止法でも作って欲しいものです。
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